あの時代は世相と音楽とCDが異様にマッチしていた
今の時代良い声で歌が上手くても、イマイチ売れない。アーティストが多すぎて何を誰を聴けば分からないし、長く生きていれば既視感も生まれる。歌詞も自己肯定・ラブソングばかりだと気づく。一回りすると、人が生きて思うことは大体この二つ事柄が多い。ただ意味が重くなる時はジャズやクラシック、インストゥルメンタルを音だけを聴く。意味はいらない。
CDバブル時代に比べて娯楽が増えたものあるが、JASRACうんぬんではなく、今が普通であの時代が狂っていただけだろう。CDをパッケージングして売るという行為は所有感もあったし、満足感もあった。人はお金を払ったモノに対して執着する。あの時代は世相と音楽とCDが異様にマッチしていた。
限られた時間の中で音楽を聴くという選択順位が下がった事。それは時代の移り変わりによるもの。音楽の価値が下がったのではなく、音楽以外に事柄の選択肢が昔より増えた。それはどの業界にも言える事。
CDは音楽を聴いていたのはではなく、所有感を味わっていただけなのかもしれない。歌っている事はみんな、自己肯定・ラブソングを言い方とメロディを変えただけ。
自分の好きなアーティストが、手にとって所有する喜び、帰るまでのワクワク感を感じていたが欲しいと言ったが難しい話。ただライブには足を必ず運んでいる。CDの価値はほぼ死んだが、音楽の価値は死んではいない。CDを買う事はほぼなくなったが、月額音楽配信サービスにより、昔より色々な音楽を聴く事が多くなった。外資系企業様々である。日本企業は利権の為こういう所が弱いと思わせる。
昔に比べてというが、既視感との戦いだろう。新鮮味が無くなり、似たり寄ったりだと思ってしまう。気づかないうちに人は歳を取り、無料と選択肢の多さが逆に幅を狭める。面白い音楽は知らないだけでたくさんある。